Meu Sonho.umblr.

Jan 15 2012

砂漠

「相手は短大の子らしいんだけど。とりあえず、僕も詳しくは知らない」
「可愛いんだろうね、きっと」
「たぶん、東堂よりは可愛くないんじゃないの」
 東堂の目が光ったように、僕には見えた。「お世辞?」
「あのさ」僕は確かめずにはいられない。「東堂は、合コンで西嶋が人気者になって、可愛い女の子と仲良くなってしまうのを恐れているわけ?」
「恐れているわけではないけれど」
「ないけれど」
「若干の危惧を抱いている」
のけぞってしまう。「いや、危惧も何も」僕は言葉を選ぶ。「西嶋にそういう心配は不要だと思うけれど」
「油断大敵って言葉知ってる?」
「もし気になるなら、東堂が先に言っちゃえばいいんじゃないかな」
「言うって何を」
「思いの丈を」僕が真面目な顔で言うと、東堂は今までにないくらいに、険しい表情を浮かべ、「オモイノタケ、ですか」と呟いた。「どうやって」
「僕に訊かれても」
気づくと東堂は講堂を後にして、消えていた。

Jan 04 2012
非数学者の数学者への最大の誤解は、問題を一挙に解決する神秘的な知的能力があるというものである。
Dec 31 2011

時間の無駄

身の回りに必要なもの以外置かない
身の回りがたくさんのものであふれているのは時間の無駄。
パソコンと本があればいい。
たくさんものがあると、自分の思考を奪われる。
身の回りを質素に、シンプルに管理する。


いろんなことを気にしない
いろんなことを気にするのは時間の無駄。
まず思ったことに対して行動を起こす。
あたまの中で何手先までも考える必要ない。


インプットは必要なものだけ
インプットは自分がいまロックオンしているものだけに絞る。
この世の中にはためになること、とても大事なことがたくさんある。
それを全部追っかけるなんて絶対無理、目移りしちゃって結局なにも身にならない。
そうじゃない、いま自分に必要なことだけをやる。
どう考えたって、5つ必要なことがある、そんなときもあるだろう。そんなことばっかりだろう。
だからこそそこで1つに絞る。1つだけロックオンする。
それをやり通せないなら、どうせ残りの4つもできるわけがない。


1度やったことを利用する。
トレーニングなんて必要な、前にやった履歴があるなら全力でそれを利用する。
まわりに経験者がいたら全力でそれをまねする。
フォーマットがあるならもらう、マクロがあるならもらう。
「Standing on the shoulders of giants」
先人の努力を利用しないのは悪いことである


まわりの目を気にしない
時間がたてばたつほど、結果・結論しか記憶に残らない。
まわりを気にして、タイミングを気にして行動が遅れても、結果が全て。
だれもその過程なんか覚えていない。


自分を守る
自分の意見を曲げない。だだをこねるわけではない。
ただ自分の意見を周知させることだけはする。
自分の置かれている状況・立場は自分にしかわからない。
それを伝えることだけは常にする。
じゃないと、あとで全体のつじつまが合わなくなって、大勢の時間の無駄。

Nov 02 2011
電車で隣の人が読んでる新聞、昨日の話ばかりなので「なんで昨日の新聞読んでるんだろう」と思ったが、よく思い出したら朝刊って昨日のニュースが載ってるものだった。
+
Windowsがときどき選択肢として提示してくる「すべていいえ」はカイシャの会議でも選びたい選択肢
Sep 11 2011

グレンラガン

ニコニコがはじめに盛り上がったころ。 日曜にニコニコでグレンラガン観ていたのを思い出した。

懐かしい。

あんなにゆったりした日曜。 最近はないけどあの記憶があるから生きていける。

グレンラガンの世界観のインフレにワクワクしながらまだ誰も動き出していないような日曜日。 いい思い出だ。

+

なにかのアンテナが反応した

+

「・・・・分かったわノリコ・・・・タンブラーしましょうっ!」
「お姉さまっ!!」

「・・・・分かったわノリコ・・・・タンブラーしましょうっ!」

「お姉さまっ!!」

(via jamjamjam3)

+

あきらめたら答えは出ないまま

なにかを思いつくときって自分の知識に縛られるんだぁと最近つくづく思う。
マクロ書いてるときもそう、機械の故障を直すときもそう。

知識がないからグーグルで特効薬を調べる。知識がないから問題に正面から突っ込んでいないことを正当化する。

知識不足ってなんて悪なんだと。

突破する方法は、知識がなくてもあきらめないこと。時間がかかっても方向転換しないこと。

あきらめたら答えは出ないままだ。

Apr 16 2011

毎日ほんの少し無理をして成長したいなぁ。

この自分の身体でいったいどんなことができるのか、ドンドンためしていきたい。

今日も、このまま寝てしまったら無理をしたことにはならない。

さあ頑張ろう。

Apr 13 2011

向こう側

さあ、もっともっと勉強しよう。 もっともっと時間を圧縮しよう。

やりじまいが大事だと思うわけです。

Apr 06 2011
我が家のデジタルネイティブが「高3になって、受験ばかりでお先真っ暗」とある日言ったので
大学に入ったら、テレビで話題になっている「スマートフォン」の最新式を買ってあげるから、と慰めるつもりでいうと、
「いらない、スマートフォンなんて喜んで買ってるのは年寄りばかり」と言いかえされて、
なんたることか!(って、前に書いたな)と思ったんだけど、彼女曰く、
「スマートフォンが本当に必要な人ってそんなにたくさんいるのかな、いつもどこかの誰かとつながる機能なんて必要?」
「携帯に私たちが求めているのは主にメール機能で、スマートフォンは画面で操作しないといけないから、早くメールが打てない」
「友達でもスマートフォンを持っている人もいるけど「使いにくい」って不評だよ、片手では打てないし」
「ボタンの感触、って大事なんだよ、わかってないなあ」
ついでに「私たちはツイッターも多分しないよ、なんの意味があるのかわからないし」などと、
我が子の父親は「マイコン」時代から部品を組み立てていた人なので、この子も幼児期からマックでお絵かき遊びを楽しんで育って、
今やパソコン自体やソフトの扱いは、父親を抜いてこの子が一番詳しいはずなのに
世間で喧伝される「ネットを通じた明るい未来」なるものには冷ややかだったりする。
「「手のひらに世界」なんて、「ない」」と、「出来る人はいるんだろうけど、そんな人ばかりじゃないでしょ」って、
自分がそうなる、とは思ってもいないんだよな、やはり世界は広くて、これから踏み出して歩いていかなければいけないのだと、
案外「感覚」的に「アナログ」であったりして、
つまり、ネットやパソコンは、電話やテレビみたいなものでしかない、かつて、テレビや固定電話は「新しい時代」の希望に充ち満ちたものであった、
と、それが当たり前にあった世代の私は親から聞いていたわけだけど、実際、それがあったから世界がどうなったか、と言うと、
まあ、基本的に人間の営みってそうそう変わるものじゃないものね、「便利」にはなったけど、「無限の可能性」ではなかった、
親世代がそこそこネットやパソコンを使えて「デジタルネイティブ」の名称を与えられている子どもが「ネイティブ」である所以とは
その便利さが「当然」である、と同時に過度な期待は抱かない、そういうもんなんだろうな。

デジタルネイティブ・覚え書き(?) - ちゃずけのきろく

まあ、子供に肩透かしされる感覚は分からないでもない。

でも本当に子供をデジタルネイティブにさせたかったら、中学にはいったらMacはターミナルだけを使わせるべきだ。マウス・トラックパッド基本禁止。vimデフォルト、Python、シェルスクリプトあたりまえ。ご褒美はスマートフォンやiPadなんてチャライのではなく、男のHHKB Pro2。ただ、gccに苦悩中。あ、いや、いまうちのガキに仕込み中なもんで。

(via kashino) スパルタンだなあ。 (via semi) (via otsune)

エンジニアにするってのならそれでもいいかもしれないけど、「デジタルネイティブ」かどうかってのは道具の問題じゃないと思うのだが。そうやって道具を制限するのって Apple が言語を制限するのと同じで「傲慢」に見えてしまう。

(via hexe) (via 60rpm) (via superneet)

(via s-hsmt) (via cohuereblog) (via sander786)

俺はtubmlrをやらせるよ

(via petapeta) (via yaruo) (via katarinax) (via shimanashi) (via masaka) (via hm7)

「好奇心」を養い、「空気を読む能力(=平和により多くの人とコミュニケーションを行うために)」を身に着けさせることじゃないかしらん。所詮はネットもツール。いつか出会うかもしれないし、出会わないかもしれない。使う能力がなけりゃ罵詈雑言を拡散するだけの人になっちゃうかもしれないわけだし。

(via akirasek)

前提として「デジタルネイティブ」って考え方がそもそもオッサン臭いってのを自覚した方が良いだろうな、とは思っているのだけど。

以前から「(同じ人間の営みなんだし、その内に違わなくなるから)ネットとリアルを分けて考えるな」って思ってるし言ってるんだけど、それと同じでデジタルだのアナログだの分けて考えるのがバカバカしくなるほどに世の中はなるんだと思っていて。

そうなってくると結局は、如何に人の営みを全うできるかが課題になってくるので、じゃぁ考えなきゃいけないのは「人として如何に真っ当か」だけで良いんじゃね?って思ってたりします。

まぁしかしその「真っ当」ってのがこれまた人(だの場所だのコミュニティだの社会だの国だの文化だの何だのかんだの)によって違うから困ったり面白かったりするんだけど。

まぁそんな風に考えているので、息子には「真っ当に生きて欲しい」的な思いを込めて名前を付けたりしましたが。

ってのはさておき、スパルタンにデジタルネイティブを現時点で育てろって言われたら、俺ならまず「otsuneさんを半年ROMれ」って言うかな。そうすりゃその内に「ネットは広大だわ」って境地に素で立てるようになるでしょ。今ならそっからじゃないかな、デジタルネイティブって。伊達に「人型エシュロン」って呼ばれてないんだから、思いっきり(真似|学)べば良いさね。

そっから先、その広大なデジタルの領域にどう食い込んで組み込まれて行くかは、まぁターミナルに齧りつくも良し、dsbdに潜り続けるも良し、半年もotsuneさんROMってれば何か好きなやり方が見つかるでしょ。

オシリスキーになっちゃうかもしれないけどw

(via vmconverter)

2010年4月の記事。 reblog してたことも忘れていた。「デジタルネイティブ」ってもはや古語の香りが… 引用の彼女は進学したのだろうか。

私も1年前は「スマートフォン要らね」とかちょっとスカしてたけど、実際持ってみると(Android 端末だけど)ちょっとした「センスオブワンダー」だった。未知のものに繋がる感覚はおっかなびっくりでしかも楽しい。

(via hexe)

(via otsune) (via tiga)

(via fourdrops)
+

Tumblr

Tumblrのダッシュボードをみるようになってから脳に垢がついていろんなことに驚きにくくなった気がする。

Tumblrダッシュボードの振幅ってすごいもんなぁ。

しかもこの「垢」ってついてしまうと、不可逆な垢というか、もう戻れないんだなと思う。

いいのか悪いのか。

Apr 05 2011

自分の意見を押し付けない、適切なタイミングで適切な言葉を言う、

そんな生き方をしていたなぁと思う。 それが最強理論だと思っていたけど、それじゃあだめなんだと最近思う。

その集まりに対して全員が欲求を満たさないと楽しめないということがわかってきた。

誰かひとりでも欲求をみたさず押し込めていたら、まわりも楽しめない。

複数人で遊んでいるときは、「時間内に全員の欲求を満たす」というゲームをしてるんだということがわかってきた。

自分にとって、そういう場では自分の欲求を引っ込めた方が楽だったけど、それはまわりのことを考えてない行動だったんだと。

それがわかったところで、今までの習慣上、自分に欲求があるのかないのか、それさえわからない。

困ったもんだ

Apr 02 2011

きっとある

自分にあった方法が。

それがみつかれば、あとはひたすら練り込むだけ。

なぜかわからないがこの方法だと続いてしまう。

そんな方法が絶対ある。

それはツールかもしれないし、手順かもしれない。

英語学習、中国語学習、マクロ、単語記憶、フレーズ記憶、名前記憶。

人生で一番楽しいことは間違いなく「レベル上げ」だ。

Page 1 of 151